黒死館殺人事件 (河出文庫)
黒死館殺人事件 (河出文庫)
小栗 虫太郎
河出書房新社 2008-05-02


最近の、いわゆる「ミステリ小説」というのはほとんど読まないが、私は戦前ー戦後辺りの推理小説が好きだ。江戸川乱歩とか横溝正史とか小栗虫太郎とか夢野久作とか。中でも、『黒死館殺人事件』が一番好きで、犯人は知っていながらも、数年ごとに何となく読み返してしまう。もっとも、私は推理小説を読むに当たって、犯人を知っていてもトリックを知っていても楽しめる方だ。と言うか、知ってる方が安心して読めたりする。基本的に、推理小説には向いていないのかも知れない。

小栗虫太郎といえば、非職業探偵・法水麟太郎が出てくるシリーズ全十作が私の中で代表作なのだが、現代教養文庫版『黒死館殺人事件』の後書きを読むと、いつもいらっとする。井上良夫が『魅力薄き法水麟太郎』という文章を一部寄せているからなのだが、まあ確かに、本作の法水氏は膨大な知識の御筆先、と言うか、まさに井上良夫が書いたように『単に作者の御筆先をつとめるロボット』であったのだが、それでも言葉の端々、動作の端々に滲み出てくる性格の悪さ、冷笑的な態度、うっかり犯人のはめられるお茶目さ、なんかもあって、かなり魅力的であると思うのだがなあ。
それに、法水氏と共に黒死館に乗り込んだ検事の支倉、直情型で結構感情の起伏が激しい熊城捜査局長なんかも、ステレオタイプではあれど、異様な妖気が漂う現代の魔窟・黒死館の中で唯一人間らしさを保ったいいバランスの存在だと思っていたのだが。

ここまで書いてしまってあれだが、京極夏彦の京極堂シリーズが、この『黒死館殺人事件』を意識していないと、作者本人に言われても私は信じない。ペダンティックな変人探偵(法水・京極堂)がこれって本筋と本当に関係あるのかよ、と言いたくなるような長広舌をふるうと言う構造は、すでに小栗虫太郎によって確立されたものであった! しかも、京極堂が妖怪談義に終始しているのに対して、法水麟太郎は精神病理学・歴史・毒物・力学・天文学……百花繚乱の知識の海を縦横無尽に泳いでいる。この辺りが御筆先呼ばわりの原因なんだろうし、法水氏と長くつきあっている支倉・熊城コンビも異様なほど知識が豊富だったりして、まあ井上良夫の言ってることも分からなくはないけどね……という感じ(しかも、検証によると結構間違った知識とか、読み方とか、入ってるらしい。鵜呑みにするのは危険だとか)(まあ面白いからいいんだけど)

建築士クロード・ディクスビイが神奈川県内某所に作り上げた、「四百年の昔から纏綿としていて、臼杵耶蘇会進学林(ジェスイットセミナリオ)以来の神聖家族と呼ばれる降八木の館」。それは通称黒死館と呼ばれていた。その中には、生まれてすぐに当主降八木算哲に海外から連れてこられ、以降一歩も外へ出ることが許されなかった門外不出の弦楽四重奏団(ストリング・カルテット)が存在し、それ以外にも、算哲の死後当主となった旗太郎、算哲の姪であり大女優であった押鐘津多子、その夫で医学博士の童吉、図書係の久賀鎮子、算哲の秘書であった紙谷伸子などが暮らしている。

この中で殺人事件が起こるわけであるが、まずその舞台装置が素晴らしい。黒死館、と言う外界から閉ざされた空間で、かつて起こった三件の不可解な事件。そのうちのひとつは当主である降八木算哲の変死事件でもある。館もの、というのは推理小説の王道シチュエーションであろうが、やっぱり黒死館が一番好きだ。

第一の事件では、弦楽四重奏団の一人、グレーテ・ダンネベルクが殺される。その死体のこめかみには、生体反応のある紋章が刻まれ、密室に横たわる死体は、薄青い神秘的な屍光に包まれていた。そして、彼女が書いたと思われる紙片には、「テレーズ吾を殺せり」の文字が。
このテレーズというのは、算哲がかつての妻をモデルに人形師に作らせた自動人形テレース・シニヨレのことである。生き残った者たちは口をそろえて、テレーズこそがこの館に巣くう悪魔だという。
ダンネベルグは人形に殺されたというのか。謎が謎を呼ぶ第一の事件は、黒死館という舞台で繰り広げられる豪華絢爛で陰惨な事件の幕開けに過ぎなかった。

たまにはこういうのもいいなあ、と思う。中二病満開でこころがきゅんきゅんする。いわゆる『法水もの』の中では『黒死館殺人事件』の完成度がダントツだと思う。『潜航艇鷹の城』でヨットを操縦したり、別の作品ではハムレットを演じたり、正直法水氏はオールマイティというか作者のやりたいこと何でもやってくれる人だけど、そんな突っ込みはもう正直どうでもよくなるくらいに、『黒死館殺人事件』は日本の推理小説の中に燦然と輝く名作だと思う。
フォーエヴァー・モーツァルト [DVD]
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ジャン=リュック・ゴダール
紀伊國屋書店


2002年に映画館へ見に行って、2007年にDVD購入、そして今夜、また見てしまった。『アワーミュージック』ばっかり見ててうっかり失念してたけど、あらためて見るとすごい作品だなあやっぱり。物語というよりも、モザイクのようにちりばめられた映画・文学・哲学さまざまなものからの引用と、映像の美しさばかりが印象に残るが、映画を見終えて改めて思い出してみると、ただそれだけではない、表層だけではないものが実にどろどろと、心の中に残っているのがわかった。

何といっても印象的なのは、戦火のサラエヴォに演劇を上映しに行って捕虜になったカミーユたちが、自分が埋められる墓穴を掘りながら爆撃を受けるシーン。あんなに美しい死体は見たことがない。カミーユの細い、青白い足、汚れた足の裏、そして重なる言葉「さよなら、ペルディカン」。

あとは、なぜこのシーンのことを忘れていたのかと思うほどびっくりしたのが、サラエヴォに向かう汽車の中、同行していたイスラエル系のメイド、ジャミラが同郷の青年と母国の言葉で交わした会話。
「死は本で読むと美しいけど、あれは全然違う。彼も、実際の死とは違ったと。何も感じない、でも言葉を発してる」

青年の家族は皆殺しにされた。「何を?」と尋ねられたジャミラは何も答えなかった。

サラエヴォの兵士に助け出されたジャミラがこれからどうなるのか、想像するのは難しい。彼女は生き延びて、『アワーミュージック』のオルガは死んでしまった。何となく、ジャミラを見ていると彼女のことを思い出す。どちらかといえば、この映画でオルガと同じ運命をたどるのは、サラエヴォ人兵士の死体と一緒に廃墟に放置されたカミーユの方なんだろうけれども。

この映画は、見ている最中よりも、見終わって、ふとした瞬間に思い出してしまったときに鮮烈な印象を自分の中で再発見する、時限爆弾のような映画だと思う。最近のゴダールはそう言うのが多い。『軽蔑』とか『気狂いピエロ』とかも好きだが、『フォーエヴァー・モーツアルト』とか『アワーミュージック』に繋がる映画も、じわじわくる。

それにしても、新作の公開はいつなんだろう。まさかやらないなんて事はないだろうな? いくら不況だからって、映画館の興行収入が減ってるからって、ここでゴダールを見捨てたら、もう私はフランス語を習得するしかない。アテネ・フランセに通うしかなくなってしまう。ほんとにどうかよろしくお願いいたします、と祈りつつ、今度は『ユリシーズの瞳』が見たいなあ、と思っている。サラエボつながりというか、なんというか。

先日、日和聡子の『火の旅』を読んで、『幻化』懐かしいなあ、梅崎春生が読みたいな、といても立ってもいられなくなったので、とりあえず最後に収録されている『幻化』から『風宴』に戻って読んだ。

最初に読んだとき(4年前くらい)は『日の果て』がものすごくよくて、他の作品の印象が薄れるほどで何度も読み返していたのだが、改めてみると、『幻化』のしみじみした良さがわかった気がした。時期的に『風宴』が徴兵前、坊津と櫻島での兵役を終えて復員後に書いたのが『桜島』と『日の果て』、そして戦後が終わって描かれたのが『幻化』という流れになるのだが、『風宴』から『日の果て』への成長、というか進化というかがものすごくよくわかる。戦争を経験した・しないというよりも、小説家として円熟していく過程が。梅崎は『風宴』を20代で書いた。

『桜島』も『日の果て』の影にあって印象が薄かったんだけれども、じっくり読むと面白い。坊津から桜島(特攻隊の基地が近くにある。知覧か)へ移動になった主人公が、どうせ死ぬなら美しく死のう、と考えるのだがやはり絶対的な死(グラマンの機銃掃射)を受けて、自分の中にある生への執着、何とか理由をひねり出せなければ自分が今、死にさらされていることに納得できないのだと気づく。見張りの兵士もいい雰囲気をしている。ツクツクボウシが鳴き出すと必ず悪いことが起こる、自分はあの虫は嫌いですという兵士と主人公の、後半のかみ合わない台詞のやり取りなんかは、グラマンの存在や理不尽に暴力を振るう上官、すさんだ壕の中の空気よりも酷薄に『戦争』という言葉にまとわり付く悲惨な感じ、やりきれない感じを体現しているように思う。

『日の果て』は、『幻化』と同じ作者が描いたと思えないほど雰囲気の違う作品。以前の私は『日の果て』の硬質な雰囲気が好きだったのだが、今では『幻化』のゆるい空気、の中に隠された切迫感に気づけるようになっている。すべてにおいて張り詰めている『日の果て』と、緩やかな中に棘のように刺さる不安がちらちら垣間見える『幻化』。多分、技術的には後者の方がより高度なのだろうと思う。
『幻化』に出てくる主人公・五郎の道行きとなる丹尾という男の名は、かつて梅崎が用いた変名のひとつであり、それゆえに彼の=五郎の分身であるといえる、らしい。五郎は丹尾と二人で、あるいは別れながら、戦時下を過ごした熊本を旅し、阿蘇の火口へたどり着く。自分が飛び降りずに火口を一周できるかどうか賭けようと丹尾は言う。

今回、巻末の解説を真面目に読んだのだが、梅崎春生という人は、結構とんでもない人間だったのかもしれない。とりあえず就職はしたものの、仕事が面白くないから転職したけど今度はすげー大変になったから辞めます、みたいな(超意訳)なんだか、コネで就職した郵便局の仕事をのんだくれてクビになったフォークナー先生に似ている(こちらも意訳だが)
あとは、坊津にいたとき、他の隊員たちとかに結構疎まれて(大学出の士官で暗号員だしアルコールを隠して夜毎宴会してたり郵便局の女にちょっかいを出して仲良くなったり……)凄惨なリンチにもあったようなのだが、それによほど腹を立てたのか、坊津での記述から特攻隊「震洋」の存在を完全に抹殺したりしている。『桜島』で坊津から桜島へ向かう主人公の瞼には傷があるのだが、作中ではこれは酒に酔って崖から落ちたときのものだということになっているが、真実はそのリンチが原因なのではないかと、解説者は想像している。

梅崎春生の文章は、一見そんなに格調高くも見えない、平易な読みやすい文章であるが、その背後には鋭い不安や絶望が隠されている。ただそれらを前面に押し出してこないだけだ。なんかわびさび、というか日本的な情緒を感じる……何度も読み返してその滋味を味わうというか、そんな読み方をしたい作家だなあ、と思った。
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主演は加山雄三と司葉子。久々に日本映画を見た。

まずはDVDに収録されている予告編から見たのだが、なんかフィリップ・ガレルの『夜風の匂い』みたいな雰囲気だなあ、と言うのが第一印象。久しぶりに見たくなった。けれども、本編を見たら、そんな印象は思い出しもしなかった。

通産省の役人である夫のアメリカ栄転が決まり、子供も三ヶ月に入ったところで、新妻・由美子(司葉子)は幸福の絶頂にいた。だが、夫が箱根出張の際に交通事故に遭い死亡。由美子は子供も堕胎することとなり、それに追い打ちをかけるように夫を轢き殺した男・江田(加山雄三)は裁判で無罪となる。この二人、『夫を殺された女』と『夫を殺した男』が、理性を超えて惹かれ合う、と言うのがこの映画なのだが、まずそこが、<お子様だからよくわかんない>。

江田(若い加山雄三)は、夫の葬式にやってきて由美子に向かって頭を下げたり、妙に由美子の前に姿を現して『許してください』とか言い続けるんだけれども、まずその独善的な行動が許し難い。『あなたに幸せになって欲しいんです』とか、お前何の面下げて言ってんの? つうかあなたが私の幸せを奪ったんですよ? って映画の最中に五、六回は突っ込んだ。この時点で、由美子に感情移入していると言うよりも<自分の夫が殺された場合>を想定している私。何よりもまず憎悪が先立ってしまって、加山雄三の顔すら憎々しく見えていた。まあ、その憎しみを凌駕するほどの愛情が二人の間に芽生えている、と言うのがまさに情熱的でもありこの映画の恐ろしさの神髄なのだろうが。そう言う意味では、変な感情移入の仕方をしてしまって勿体なかった。

派手な展開はほとんどなく、主に江田と由美子の細やかな感情をじっくり描いている映画で、これはドラマ全盛の現代にはなくなってしまった技術だと思う。スピード感で引っ張るだけが映画ではない、と、考え直させてくれる素晴らしい演出。江田の海外出向(ラホール)が決まって、江田が由美子に告白した後、一度は別れた二人が江田の下宿で再会するシーンの、司葉子の何の言葉もない演技とか、そこから旅館(現代で言うところの連れ込み宿)へタクシーで向かう二人の微妙な距離感、特に加山雄三の妙にいらいらしているような焦っているような若々しい演技が、言葉を超えて語りかけてくる。あの長い踏切のシーンはよかった。台詞はひとつもないけれど、だからこそ伝わる二人の焦燥感とか期待とか不安とか、複雑な心情が悲しくもあり。

あと、由美子の姉役の森光子がいい味を出していた。その不倫相手のおっさんも、あんなにいやらしく同時に憎めないおっさんはいないな。金銭尽くでぎらぎらしていて、由美子を利用して契約を取ろうとかするんだけれども最終的にはそれほど無理強いもせずに『悪い人ね』で済ませてしまう絶妙な呼吸とか。

それにしても、最初の入り方がまずかった所為か、映画を楽しめなくて損をした気分だ。いちいちいらつく江田の台詞、それにだんだんと好意を感じ始めている由美子への苛立ち……完全に監督の術中にはまってしまっているような気がしなくもない。そしてあのラスト。余韻、と言えば余韻しかないラストシーンは、やっぱり現代では失われてしまった手法なのかも知れない。ヨーロッパ映画の雰囲気を感じる。はっきり白黒つけるだけが結末ではない、でもつけて欲しかったような気もする、そんなもやもやが残って、この映画がいつまでも心の中に引っかかったままでいるようになる……

でもやっぱり夫の葬儀に江田が来たら塩をまくくらいじゃ済まないだろうなあ、と思う。あとは、現代だったら普通に子供を産んでシングルマザーとして生きる、って言う選択肢があったんだろうな。そうすれば物語は全く別の方向へ転がり始めるだろうし、あの時代でしか描けないものがそこにあったのかも知れない。その辺りには時代の流れというものも感じる。道を走ってる車が普通にクラシックカーだったし。

久しぶりに硬派な日本映画を見て、懐かしさと共に過ぎ去ってしまった遠い時代に思いをはせた。日本映画は今、どんどんハリウッドに近付いてしまって、こういう作風は姿を消しつつあると私は思う。「おくりびと」とか「おとうと」とか見てないけど。この映画、現代では流行らないんだろうけど、やっぱりなくなって欲しくない、そんな映画であると思う。
ユリイカ2010年2月号 特集=藤田和日郎 『うしおととら』『からくりサーカス』そして『月光条例』・・・少年マンガの20年
ユリイカ2010年2月号 特集=藤田和日郎 『うしおととら』『からくりサーカス』そして『月光条例』・・・少年マンガの20年
藤田 和日郎/荒川 弘/諸星 大二郎/立原 えりか/伊藤 比呂美/加門 七海/市川 春子
青土社 2010-01-27


ユリイカを発売当日に買ったのは初めて。藤田和日郎信者なもので。

目玉記事は『鋼の錬金術師』の荒川弘と藤田和日郎の対談。ジュビロ、荒川弘を褒めちぎっていたが、なんか……期待してたのと違う……藤田和日郎の自分語りを期待していたのだが、メインは荒川弘っぽい。ジュビロはホストみたいな感じ。
ジュビロのことを知りたければ、その後にあるロングインタビューを読むべし。

私的な目玉記事は、諸星大二郎だった。何か文章を寄せているのかしらと思ったら、見開き1ページのイラスト、というか漫画だった……諸星大二郎風味の潮とかとらとかしろがねとかハチカツギとか、ファン、というかマニアには嬉しいものですよ……とらかわいいなあ、とら!

ロングインタビューの中で、影響を受けた漫画家に諸星大二郎と高橋葉介が挙がっているのを見て、やっぱりなあと思いつつにやにやした。あとはちらっと椎名高志の話が出たり、久米田康治の名前が出たり、あんなに真面目にユリイカを読んだのは久しぶりだったな……

でも上記3つ以外の記事はぼんやり読み飛ばしていた。アンソロジストとか、漫画批評家って、普段何をして生きてるんだろうな、とか考えながら……

漫画を読んでると、藤田和日郎って小説もものすごく読んでる人なんだろうなと思うんだが(からくりサーカスのエリ公女が見るマネキンの夢なんかそのまんま吉行淳之介だし……)その辺りに全然触れてなかったのがもったいなかった。ユリイカだけに期待していたんだが。

雑誌は普段読みたいところしか読まないのであまり経済的ではないなあと思っていたのだが、今回は結構読みでがあって買ってよかったとおもった。中上健次とドストエフスキー特集号の隣に並べた。